ワールドカップ

ワールドカップ,女子サッカー・なでしこ

国際サッカー連盟(FIFA)は25日、2023年のFIFA女子ワールドカップ(W杯)をオーストラリアとニュージーランドで共同開催とすると発表した。公式サイトが伝えている。

 FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長は、テレビ会議で行われたFIFA理事会の投票結果を発表。有効票35票のうち、オーストラリア・ニュージーランドが22票、コロンビアが13票を獲得し、オーストラリアとニュージーランドの共催とすることが決まった。なお、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は共催案に投票している。

 FIFA女子W杯は2023年大会から、24カ国から32カ国に拡大して行われる。招致レースは、ブラジルサッカー連盟と日本が撤退したことから共催案とコロンビアの一騎打ちに。JFAは撤退の理由について、「世界的な女子サッカーの普及や発展ということは当然ですが、より多くの国で大規模大会の開催が可能となる共同開催が近年の世界のトレンドになりつつあります」として、「今回、日本が招致から撤退することによってアジアの連帯を強固にし、アジア・オセアニア地域への招致の確率を高めることもアジアサッカーへの貢献であると考えている」と明かしていた。

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/7afb80d2a3a4df7675860cf9edcd81df4ffeace1

ワールドカップ

ワールドカップ2022

国際連盟(FIFA)が2022年にカタールで開催予定のW杯について、新型コロナウイルス感染拡大により延期も視野に入れて検討し始めていることが5日、関係者への取材で分かった。感染は収束しておらず、開催国カタールでも感染者が増加。1年延期された東京五輪と同様に、2年後のサッカーW杯にまでコロナ禍の影響が及ぶ恐れも出てきた。

22年11月21日~12月18日に予定されているW杯カタール大会にまで、新型コロナの影が忍び寄ってきた。第二次世界大戦のため1942年大会(ドイツ)と46年大会が中止となった例はあるが、疾病による延期の前例はない。

FIFA関係者によると、インファンティノ会長はW杯の延期に慎重な姿勢をみせている。しかし、上層部の中には「可能ならもちろんやる。だが、世界の(新型コロナの)現状を看過できない。時期尚早かもしれないが(延期も)考えないといけない。本大会を無観客でやることは絶対にあり得ない」と話す人も出てきているという。

欧州では無観客でドイツ1部が5月16日に主要リーグ初となる再開を果たし、スペイン1部なども順次再開予定。しかし南米では同31日、ブラジル1部バスコ・ダ・ガマ所属選手16人から陽性反応が出るなど感染が拡大。代表の活動では国家間をまたいでの“大移動”となり、感染リスクは高まる。

各地域の予選は、日本も出場しているアジア2次予選が延期。南米予選も3月の開幕を延期した。欧州や北中米カリブ海などはまだ予選の日程が決まっていない。「予選の目途が立たないところもある。収束しなければ無観客やセントラル方式(1カ所で集中開催)なども模索しなければならない。本大会延期も念頭に置く必要がある」と、FIFA関係者も頭を悩ませているという。(以下省略)

サンスポ 2020.6.6
引用元:https://www.sanspo.com/soccer/news/20200606/wor20060605030001-n1.html

9:: 2020/06/06(土) 06:42:28.51 ID:NRze2BTg0
EUROは今年だったよな確か中止決定したのか

 

10:: 2020/06/06(土) 06:43:21.08 ID:RzQDIce/0
>>9
来年に延期

 

15:: 2020/06/06(土) 06:56:03.98 ID:xuFmqF3g0
EUROが来年の7月に予定どうり開催され、9月からヨーロッパ予選を1年で終了というのが一番厳しいと思うが。

 

Jリーグ,ワールドカップ

フェルマーレン

ヴィッセル神戸は6日、オンラインで有料トークショーを行った。第1部にはベルギー代表DFトーマス・フェルマーレン(34)と、元バルセロナのMFセルジ・サンペール(25)が参加。約50人のサポーターらとともに1時間の熱気ある番組となった。

18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会について質問された、ベルギー代表のフェルマーレンは「我々にとって特別な大会だった。日本のみなさんには申し訳ないが、印象に残っているのは(決勝トーナメント1回戦の)日本戦。3-2で勝ったが、2点先制されて、これで終わりかなと思ったところに、3点を取って逆転することができた。あそこからチームが覚醒して、ブラジルにも勝つことができた」と、過去最高の3位に入ったことを振り返った。

この2カ月間の自宅中心の生活には「家族と一緒に長い時間を過ごすことができた。子どもに先生の代わりになって、勉強を教えていました」と、私生活の充実ぶりを強調した。

スペイン人のサンペールは食について質問された。「昨年はいろいろな食にトライした。1番は広島のお好み焼きがおいしかった。2番目は神戸牛、3番目はラーメンです」。

大好きなアニメ「ドラゴンボール」には「スペインでは毎朝、学校に行く前に見ていた。見ないで学校に行くと、落ち着いて過ごせないぐらい好きだった。好きなキャラクターは悟空、ベジータ、クリリンとたくさんいて、1つに絞るのは難しい」と苦笑いしていた。

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/814a7826757eb6dce04a4749ff84ebd484d0d0ab

https://www.youtube.com/watch?v=fJeJuc27ggE

ワールドカップ,代表,日本代表

ケーヒル

元オーストラリア代表FWティム・ケーヒルが代表キャリアのハイライトとして、2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)で日本代表相手に決めたW杯初ゴールの瞬間を挙げた。“日本キラー”と称された男にとって思い入れの深い一撃だったようだ。英衛星放送「スカイ・スポーツ」が報じている。(中略)

 そして、代表キャリアでのハイライトには「オーストラリア代表では、W杯で僕らの国にとって最初のゴールとなった得点」と日本中のサッカーファンにため息をつかせたゴールを選んだ。

 2006年ドイツW杯、当時はまだオセアニア地区から出場していたオーストラリアは日本、ブラジル、クロアチアと同組となり、初戦で日本と対戦。MF中村俊輔のゴールで先制を許したオーストラリアだったが、後半39分に左サイドからのロングスローのこぼれ球をケーヒルが蹴り込み同点に追いついた。2度目の本大会出場だったオーストラリアにとって、これがW杯初ゴールとなった。

 ケーヒルはその5分後にも右足で強烈なミドルシュートを叩き込み、チームに勝ち越し点をもたらしている。終了間際にはFWジョン・アロイージにもゴールが生まれ、オーストラリアが歴史的勝利を飾った。

 ケーヒルはドイツW杯での2得点を含め、日本戦で計5得点を挙げ、日本のメディアでは“日本キラー”とも称された。そんなストライカーにとって、キャリアで最も印象に残った得点の一つが日本戦での一撃だったようだ。

4/4(土) 10:10配信
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200404-00255231-soccermzw-socc

ワールドカップ,日本代表

日韓ワールドカップ 日本代表

2002年サッカーW杯日韓大会で日本代表を指揮したフィリップ・トルシエ監督のアシスタント(通訳)を務めたフローラン・ダバディ氏が、日本代表のベースキャンプ地だった袋井市にあるホテル「葛城北の丸」を18年ぶりに訪問。

 大会前から選手、スタッフと北の丸で6週間にわたる合宿生活を送っていたダバディ氏。18年の時を経て、再び北の丸に足を踏み入れた理由は、今年から自身が出演している番組コーナー「教えて!#ハッシュ旅」(>>1枚のインスタ写真を手がかりに聞き込みで、その場を訪ねて、インスタと同じ写真を撮る)のスタート地点にしたことから。ダバディ氏は「超懐かしいよ~。入口から続く石畳、スタッフの方々が出迎えてくれるおもてなしも、当時のままでした」としみじみ。

 選手全員が飛び込んだというプールを見て「グループリーグが終わって、リラックスするために庭でバーベキューパーティーをしたんですよ。でも、途中から選手たちが続々とプールに飛び込んで、松田直樹さんが中田英寿さんを落としたりして大盛り上がりでした。気付いたら、全選手23人がプールにいて、トルシエ監督まで落とされていました。監督は『私に何をする。みんな私の子どもたちじゃないのか』と怒っていました。私は逃げ回っていて、落とされることはありませんでしたが」と笑いながら当時の裏話を展開した。

 「葛城北の丸」は、袋井市の北部にあるヤマハが経営するリゾートホテル。大規模な本格的木造建築と広大な庭園を有するホテルで、隣接する葛城ゴルフ倶楽部は名門コースとして知られている。トルシエ監督は、代表合宿地に選んだ理由について「サムライたちが心身を休める場所として最適だから」と説明していた。

1/23(木) 22:33配信 オリコンニュース
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200123-00000380-oric-ent

ワールドカップ,日本代表

日本代表1992

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(2)

1992年8月のダイナスティカップ(現在のE-1サッカー選手権の前身)を直前に控え、日本代表は徐々にまとまりつつあった。

ハンス・オフト監督の気さくな性格が見えてきて、監督と選手が打ち解け始め、また柱谷哲二キャプテンの「まずは監督の言うとおりにやってみよう」との声掛けに、一部の選手たちが賛同していたのだ。

だが、ラモス瑠偉は自分のサッカーを曲げられず、オフトと内戦状態になっていた。ダイナスティカップは、日本にとって非常に重要な大会になる。
柱谷は再度、ラモスのところを訪れ、キャプテンとして話をしにいった。

「この頃、オフトはラモスとぶつかって、鬱陶しいなって感じていたと思う。でも、ダイナスティで結果が出れば、チームはまとまる。ここが勝負どころだと思ったんで、
ラモスに『ここで結果が出なかったら文句を言いましょう。それまでは監督が要求することをやってください』って言いました」

柱谷の言葉をフォローしてくれたのがカズ(三浦知良)だった。

カズは、中学卒業後、単身でブラジルに行き、プロになり、日本に戻ってきた。
ラモスと共に日本代表にプロフェッショナルという新しい血を入れ、アマチュアだった選手のメンタルをプロに昇華させてくれる存在で、ラモスも一目置いていた。
そのカズが「そのとおり、プロは監督に言われたことをやらないといけない。プロってそういうもんだから」と言ったのだ。

92年8月22日から29日まで、中国の北京でダイナスティカップが開催された。

日本はグループリーグ初戦の韓国に引き分けた。だが、続く中国と北朝鮮に勝利してグループ1位。2位韓国と戦った決勝は、2-2からPK戦で勝利し、優勝した。
日本が海外の国際大会で優勝するのは初めてで、柱谷は大きな自信と可能性をチームに感じた。

「前回大会は、韓国、中国、北朝鮮に全敗だった。負けて何もできない状態だったのが2年後に韓国に勝って優勝した。
オフトの言うことを守りつつ、自分たちがプラスアルファでやっていけば十分にやれるんだって自信がついた。
結果が出たことで、みんなオフトについて行くみたいな感じになって、一段と結束力が増した感じだった」

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200131-00884980-sportiva-socc&p=1
1/31(金) 6:00配信