日本人の低評価覆した21歳!1年で弱小ペルージャから名門ローマへ…29歳の若さで電撃引退

日本選手の欧州移籍やビッグクラブでのプレーが当たり前のようになった日本サッカー界だが、以前は夢物語だった。世界を目指して海を渡り、道を切り開いた先駆者4人の功績を振り返る。
◇衝撃のデビュー
1998年9月13日。21歳にして当時世界最高峰のイタリア1部リーグ(セリエA)、ペルージャに移籍した中田英寿は、開幕戦のピッチに立った。ジダンらを擁す王者ユベントスをホームに迎え、鮮烈の2ゴール。昇格直後のチームは3―4で敗れたが、目の肥えたファンの日本人への評価を一変させる活躍だった。
この3カ月前。日本の初出場となったワールドカップ(W杯)フランス大会で、中田はスカウトの目を意識し、金髪にして戦った。屈強な相手にも倒れない球際の強さと、非凡なパスセンスは、全敗したチームの中でも際立っていた。
欧州各国から複数オファーが届いた中で、弱小のペルージャを選んだ。その理由を昨年、ネットテレビ番組で明かした。「試合に出られる可能性が高いから」。定めた目標へ、いかに早くたどり着けるか。プレー同様、常に逆算できる中田らしい決断だった。
2年目のシーズン半ばには、名門ローマへ。外国人枠の兼ね合いもあり出場機会は激減したが、2000~01年シーズンのユベントスとの首位攻防戦で再び強烈な印象を残す。2点を追う後半途中にエースのトッティと代わると、約25メートルのミドルシュートを突き刺した。「よっしゃー」と叫んだ場面は、今も語り草。ロスタイムにもミドルから同点弾を演出し、18季ぶり制覇に大きく貢献。日本選手初のセリエA優勝メンバーとなった。
日本史上最高の選手との呼び声もある中田は、29歳の若さで電撃引退した。06年W杯ドイツ大会のブラジル戦後にピッチに倒れ込んだのが最後の姿。16強入りした10年南アフリカ大会でも33歳。もしその場所に中田がいたらと、考えたファンは少なくない。
5/15(金) 7:33 時事通信
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/94cc707dca3700cfb093e262c269c2f739a7feff
こんな日本人現れないよ
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=dmLvskZcVMg&feature=emb_logo
ペルージャ時代の中田は相手とボールの間に体入れるのを徹底してて
敵が後ろにいる状況を作って止められたら必ずファールになるんだよな
中田がボール持つとボールロストしなかったよな
ちゃんと世界レベルの上手さはあったの?
一年目は凄かった
それからは劣化する一方
二年目も凄かったよ
ローマ時代はトッティとの差は歴然
中田の無茶なFW走らすスルーパスは大不評だった
一流はFWに合わせたパスを出す
これ以降代表でも無茶なパスは出さなくなったしさらに成長した
https://www.youtube.com/watch?v=Jk_4vCADySo&feature=emb_logo
トッティのダイレクトは秀逸だしな
それに250点取る選手と比較して
中田が得点力あるというのは失礼すぎる
当時、イタリアで中田がイタリア人だったら
イタリア代表はトッティじゃなく中田がレギュラーって言われてたけどね
流石にそれは単なるリップサービスだろ
中田ってイタリア人で言えば同時期にペルージャからビッグクラブ行ったミッコリとかリベラーニくらいだろう
そいつらがイタリア代表ではトッティとはほとんど勝負になってないんだから推して知るべし
全然違う
中田のパスにはセリアAのFWでさえ合わせるのは困難だったのは確かだが、動き出しの早さとポジショニングに関して世界ナンバーワンのFWと称されていたモンテッラとだけはドンピシャで合っていた
要するに世界のトップオブトップだけが合わせられるレベルだったということ
ユーベ戦の印象が強すぎるだけ
そもそもあんまり試合にださせてもらってない
カペッロが中田の性格まで見抜けなかった中田が好んで守備なんかするわけない
結局トップ下でトッティの控えに
クレバーなイメージが先行してるけど実際はポジショニングに難のある選手だった
時代が違うが今見ると自由に動きすぎてポジション放棄をするから局地的な渋滞を引き起こしたり相手にスペース与えたりしてる
ローマでボランチ失格の烙印を押されたり代表でスタッズ残せてないのはこの辺に所以するかと身体の強さと使い方は歴代の日本人選手の中でもトップクラスだとは思うが
守備やらないんで福西と毎回殴り合いになりそうになってたのは有名だからな
これも違う
ワールドカップ直前の福西との意見交換は中田の「ボールホルダーに対してきちんと人数をかけて囲ってボールを奪うべき」という意見と福西の「そこまで詰めると自分のポジションにスペースが空くのが怖くて詰められない」という意見の対立
現代でいうならばリバプールのようなゲーゲンプレッシングを仕掛けるべきか、もしくはコースを切ってボールを誘導してゾーンでインターセプトを狙うべきかという守備方針の違い
福西自身も「ヒデの意見も正解だからそのすり合わせでしかない。喧嘩なんて次元の低い話じゃないよ」とのちにテレビで言っている
10年連続200本安打のイチローと 一発屋の中田を比較するのはイチローに失礼だろう
デビュー戦で当時世界選抜と言っても良いメンツのユーベ相手に
2得点&1PK獲得PK蹴ってればハットトリック
シーズン二桁得点
ローマでは優勝かかったユーベとのホーム戦で0-2からの途中出場でミドルを突き刺し
勢いを得たローマは2-2の引き分けに持ち込み結果優勝
一発屋とかアホかと
https://www.youtube.com/watch?v=64saZjxuWjs&feature=emb_logo
そのPK蹴らせなかったことに会長がキレてたの思い出したわ。中田本人はPK苦手だしとか言ってたけど
因果関係逆だな
股関節酷使して身体能力を超えて踏ん張ってたからグロいんペインになった
カカも物凄いストライドで股関節に負担を掛け続けた
ヨーロッパでプレイしてた東アジア系選手でボディコンタクトの強さを売りしてた連中は30歳くらいで急激に劣化する印象があるわ
例は中田、本田、長友、パクチソンなど
身体能力を超えて踏ん張り続けたせいかと思っている
アジア系は腱が細く短いから着地の衝撃が関節に逃げてしまうそうだ
対極で言えば黒人は腱が太くて長いからエネルギーをそこに溜めた上に筋収縮に利用できるから爆発力がすごい
アジア系はエネルギーを腱に溜められない分筋収縮がすぐ動きに反映されるので
俊敏性いわゆるアジリティというものになるそうだ
中田の強さはアジリティとは別物じゃない?
同じような筋肉量でも腱の強さで別物なのはスポーツかじった事のある人なら経験があると思うが
中田は大陸の北部出身者のような日本人離れした資質を感じるよ
活躍するするアジア系ってだいたい突然変異な感じだよね
中田は身体能力に加えて体の使い方も上手いと思った
相手に上手く体預けて加速する感じのドリブルとか
簿記の勉強してる時間をもっとドリブルテクに費やしていたらビッグクラブで不動のレギュラーをキープ出来たのにな
フィジカル強すぎて直線的なドリブルでも大抵は突破できたから、あるレベルまではテクニックに頼る必要がなかった
まあ、それが通用したのは若いうちだけだったけど
フィジカル任せだったから全盛期が短かったよね
カウンターとかでスペースが空いたとこでの重心の低いドリブルは凄かったけど
高い位置で敵に囲まれてボールを受けると激しいプレッシャーの中でのボールキープは素晴らしいけどフェイントやフェイクを入れて狭いとこからでも突破するドリブルは苦手だからそこが中田英寿のウィークポイントだった
逆に今の選手はテクニックはあるけど
中田英寿みたいな強さや判断の速さはないんだよな
https://www.youtube.com/watch?v=5MLWSkpkEV0&feature=emb_logo
中田のデビュー戦ツレの家でwowwowだかスカパーだかで見てすげー興奮したの覚えてるわ。ラパイッチは俺らが勝手に暴走機関車ってあだ名つけて面白がってた。ドリブルでどこまでも行っちゃう姿が面白かった。
王様がいっぱいいるチームでは影が薄かった
パルマ時代とかムトゥ、アドリアーノが全くパス出さない場面が凄く印象に残っている
あとブラジル戦後にずっとピッチに倒れこんでたのは自己プロデュースの
匂いがプンプンしていけ好かなかったわ
でもローマのデロッシがイタリアで引退時期を聞かれて余力を残して辞めたのは中田だけみんなギリギリまで現役を続けるて言ってからやっぱ早かったんだろ
ドイツ本番でロングパス精度がガタ落ちしてたから、さすがに引き際だったと思うよ
走って戦うのはまだまだできたと思うけど
これな、アンチが作った動画じゃないのが笑うところ
ドイツ中田全集
同僚で印象的なだったの今でも覚えてるな。スカパー入ってる友達の家に週末集まるの楽しかったな
ペルージャ、ローマまでは良かったがその後は・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=5WInf2jOfh8&feature=emb_logo
なんだかんだで1番安定してたのはパルマ2年目のアドリアーノ、ムトゥとやってた時だと思うけどな。
カズはサッカー以外に興味がないから今でもやりたがる。
パルマいってから急に劣化した
パルマではムトゥ、アドリアーノでゴリ押ししてれば良かったからな
トップ下やるには既に攻撃力もスピードも足りなくなってて右サイドで守備しろと日本人が落ち付くところの先駆者でもあったな
それでもやりたいとプランデッリと喧嘩してその後移籍しても右サイド
プランデッリに私が正しかったと言われてた
それ相手にあわやハットトリック
漫画でも描けない
それもあって翼くんはスペインになったとかなんとか
スクデット獲得した中田はマジやばい
当時は中田が世界基準のパスで他の選手がおいつけないとかマスコミが無理やり持ち上げたりしていたけど単純なミスパスも結構あった。98WCのクロアチア戦の中山へのパスは神だったけど。パスで言えば当時だと名波とかが抜群に良かった。
見た人いると思うけどこの記事で複数専門家が言うようにインサイドハーフが適正ポジだったと思う
引退の時と中盤3人が流行りだした時が同じくらいだったのは残念
面白い記事だね
ヒデのプレーを思い出すと確かになあと思える
ボナッツォーリって俊輔だけじゃなくてヒデともやってたんだな
最終理想型は同年代のセードルフかな後スタンコビッチ
まぁセードルフは天才肌だけど
ピルロなんかも自らトップ下からアンカーにコンバートで道を切り開いた
ヒデにも30を超えても尚セリエで輝き続けられた可能性があったんかな
引用元: ・https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1589499262/
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